京の伝統文化 「茶の湯」

  • 2021年5月15日
  • 2021年5月15日
  • コラム
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京都で生まれた日本の伝統文化は多くあり、代表的ものは「歌道」「能」「歌舞伎」など。

その中でも、「茶道」は「茶の湯」とも呼ばれ、抹茶と季節のお菓子やお花を愛でながら、亭主のおもてなしをうけながら会話を楽しむ日本独自の豊かな文化。


現在では、京都にある多くの寺院の茶室でお茶会が開かれ、茶道を学べる学校や専門学校などもあります。

茶道を大成した人物として千利休を知っている方は沢山いますが、どうやって日本のお茶が伝わったのか、茶道の発展などについて紹介します。







栄西禅師により中国から伝わった茶


茶が初めて中国から輸入されたのは、平安時代初期のこと。

当時はお茶は茶葉を蒸して固めたものだったので、喫茶は一部の貴族や僧侶などに広まることにとどまりました。

本格的に広まったのは鎌倉時代に、「栄西禅師」が中国から臨済宗とともに茶種を持ち帰り日本で栽培することを奨励し喫茶の方法を普及した言われています。


京都市東山区にある臨済宗建仁寺派の大本山「建仁寺」は茶碑があります。


建仁寺の境内には「東陽坊」という格式高いお茶室もあり、豊臣秀吉の北野大茶会の副席と伝えられています。




鎌倉時代 武士の間で広まったお茶と「草庵の茶」



喫茶の文化が広まったと同時に、京都の栂ノ尾やや宇治などでお茶が栽培されるようになりました。


世界遺産である「髙山寺」は「お茶の発祥の地」としても有名。

栄西禅師から贈られたお茶の実をここで栽培し、宇治茶はここの苗木を移植し栽培されたと伝えらえています。


境内の中央には広大な茶園が広がっていて、5月中旬には茶摘みも行われます。



鎌倉時代末期から南北朝時代にかけては、本茶と言われる栂ノ尾のお茶と非茶(それ以外の茶)の飲み分けで賭け事をする「茶歌舞伎」が武士の間では流行しました。

その後、茶会の方式がしだいに定まり、室町時代には村田珠光により、茶と禅の精神を融合させた「草庵の茶」を創始されました。




安土桃山時代 千利休が茶の湯を大成


安土桃山時代に、村田珠光が創始した草庵の茶を習得、そして大徳寺で禅を学び、茶禅一味を唱えて茶の湯を大成。

千利休は無駄を省いた茶室で、心を込めてお客さんをもてなす「茶の湯」が確立されました。

その後、江戸時代初期にかけて、茶の湯は全盛を極め、千利休を祖とする茶道家元の「裏千家」「表千家」「武者小路千家」の三千家によって庶民の中にも普及しました。


その後、家元を中心とする免除制になり、庶民にも門戸が開かれるようになりました。







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